当院の、検査に対する考え方
三つ子の魂百まで、じゃありませんが、医者になりたての頃に身についた習慣や考え方というものは、なかなか抜けないもんです。
医師国家試験に合格し、母校の小児科医局に入局したてのほやほや研修医だったころのことです。
研修医になってはじめての指導医は、柔和な素晴らしい先生だったのですが、患者さんの前で「うーん、どうしよっかなー」と言うのが口癖で、極めて非常にとっても優秀な研修医であった私からすると、何となく頼りない感じがしたものです。
で、何のことはない。気がついたらいま私自身が患者さんの前で、「どうしよっかなー」としょっちゅう言っております。
今だからよくわかりますけれども、あの「どうしよっかなー」は、たとえお風邪の薬でも、少しでも一人一人の状況にあった良いものを選択しようとする、たとえ些細な検査や処置でも、それに伴う苦痛などよりもメリットの方が大きいのか検討する、医師としての良心の表れであるわけです。
まあ、ただの言い訳ですけれども。
その次に指導医になって下さった先生は、最初の指導医とはタイプは違いますが、これまた素晴らしい先生でした。
医者よりも海賊のほうが似合いそうな風体の、ジロリと睨まれるだけでオシッコちびりそうなぐらい厳しい先生で、よくこっぴどく叱られたものです。
でも、この先生に命じられるままに、訳もわからず患者さんたちの傍に張り付いていた経験が、小児科医としての今の私の血肉となっています。
で、その海賊指導医によく言われたのが、「意味のない検査はしてはいけない」ということでした。
たとえば、検査の代表格である「採血」は、他人の体に針を刺すという、医師でなければ傷害罪となる行為です。
それは、医師に許された特権ではありますが、当然その分重大な責任を伴う行為であります。
「採血を行う」という医師の特権を振りかざすからには、それに見合うだけの正当な医学的理由が存在しなければなりません。
時々、外来が混雑しているにもかかわらず、ちょっとムキになって、「その検査は必要ありません」という説明を長々とすることがあります(スミマセン・・・)けれども、それは以上のような、私の小児科医としての根本的な立ち位置に反するからなのです。
例えば、よく言われるものに、「離乳食始める前にアレルギーの検査を・・・」というのがありますが、詳しい理由はまた別の機会があれば書こうと思いますけれども、それは私にとって(患者さんにとって)、必要な検査とは思えないのです。
例え「検査して、ってお願いしたのにしてくれなかった激おこぷんぷん丸!」と思われたとしても、私の医師としての良心に照らして、せめて「どうしよっかなー」と悩むぐらいの意味があるならまだしも、それに見合うだけの意味が見出せない検査は、やはりしたくないのです。
まだまだ、未熟な院長でございます。どうか、ご理解賜りますと幸いです。
なお、念のため申し上げますが、上述した指導医の先生方は、どちらも私の尊敬する小児科医であり、生涯の師であります。まあ、そげんこつ言われてもあちらからすれば迷惑でしょうけれど。
医師国家試験に合格し、母校の小児科医局に入局したてのほやほや研修医だったころのことです。
研修医になってはじめての指導医は、柔和な素晴らしい先生だったのですが、患者さんの前で「うーん、どうしよっかなー」と言うのが口癖で、極めて非常にとっても優秀な研修医であった私からすると、何となく頼りない感じがしたものです。
で、何のことはない。気がついたらいま私自身が患者さんの前で、「どうしよっかなー」としょっちゅう言っております。
今だからよくわかりますけれども、あの「どうしよっかなー」は、たとえお風邪の薬でも、少しでも一人一人の状況にあった良いものを選択しようとする、たとえ些細な検査や処置でも、それに伴う苦痛などよりもメリットの方が大きいのか検討する、医師としての良心の表れであるわけです。
まあ、ただの言い訳ですけれども。
その次に指導医になって下さった先生は、最初の指導医とはタイプは違いますが、これまた素晴らしい先生でした。
医者よりも海賊のほうが似合いそうな風体の、ジロリと睨まれるだけでオシッコちびりそうなぐらい厳しい先生で、よくこっぴどく叱られたものです。
でも、この先生に命じられるままに、訳もわからず患者さんたちの傍に張り付いていた経験が、小児科医としての今の私の血肉となっています。
で、その
たとえば、検査の代表格である「採血」は、他人の体に針を刺すという、医師でなければ傷害罪となる行為です。
それは、医師に許された特権ではありますが、当然その分重大な責任を伴う行為であります。
「採血を行う」という医師の特権を振りかざすからには、それに見合うだけの正当な医学的理由が存在しなければなりません。
時々、外来が混雑しているにもかかわらず、ちょっとムキになって、「その検査は必要ありません」という説明を長々とすることがあります(スミマセン・・・)けれども、それは以上のような、私の小児科医としての根本的な立ち位置に反するからなのです。
例えば、よく言われるものに、「離乳食始める前にアレルギーの検査を・・・」というのがありますが、詳しい理由はまた別の機会があれば書こうと思いますけれども、それは私にとって(患者さんにとって)、必要な検査とは思えないのです。
例え「検査して、ってお願いしたのにしてくれなかった激おこぷんぷん丸!」と思われたとしても、私の医師としての良心に照らして、せめて「どうしよっかなー」と悩むぐらいの意味があるならまだしも、それに見合うだけの意味が見出せない検査は、やはりしたくないのです。
まだまだ、未熟な院長でございます。どうか、ご理解賜りますと幸いです。
なお、念のため申し上げますが、上述した指導医の先生方は、どちらも私の尊敬する小児科医であり、生涯の師であります。まあ、そげんこつ言われてもあちらからすれば迷惑でしょうけれど。